sage 2009/09/20(日) 13:47:51 ID:9epKxXJT0
屋敷の中は静まり返り、人の気配はありません。
どうやら既に宴会は終わり、みんな寝静まっているようでした。
つい今までかたわらにいたソレの姿もありません。
障子は、ぴったりと閉まっています。寝る前に私が閉めたときと同じように。
それから一度も開けられてはいないように。
私はあわてて起き上がり、明かりをつけました。部屋には私以外に誰もいません。
二十畳もの広さの部屋が、蛍光灯の白く無機質な光に照らされ、音もなく、そこにありました。
どこに目を向けても、どこに目を凝らしても、私以外の何者の痕跡すらありませんでした。
私は気が抜けたように布団の上へと座りこむと、胡坐をかき、盛大にため息をつきました。
おかしな夢を見た。そういう結論に達し、額の汗を拭います。
昼間、そして夜の寝る前にあんな話を聞かされたから、夢にまで見てしまったのでしょう。
それというのも全ては伯父さんのせいです。そう思うとなんだか腹立たしく、悔しい気持ちになりました。
明かりも消さずにごろんと布団へ横になり、憎々しい伯父さんの顔を思い浮かべます。
少なくとも伯父さんがあんなに脅かしつけるような話しかたをしなかったなら、
こんな夢を見ることもなかったはず……伯父さんのせいでこんな夢を見ることになったのです。
こんな気味の悪い夢……。
そう。それは確かに夢であったはずでした。
けれど私は見つけてしまいました。額の汗を拭った右手。一見変わった様子の無い、普段どおりの私の右手。
その手首にはっきりと、手の形をしたアザがついているのを。
私は飛び起きて、そのアザをまじまじと眺めました。
アザの形がなんとなく手のように見える……わけではなく、一本一本の指先までがはっきりとわかるほど、
それは紛れも無い手の形でした。
さほど大きくはなく、私の手と変わらないくらいの大きさです。
だからはじめは私も、もしかしたら寝ている時に自分で自分の腕をつかんだのかも、そう思いました。
寝ぼけてきつく握り締めてしまったのだと。
けれどそんなはずはありません。皆さんも、自分の右手首を自分で掴んでみてください。
今、あなたの手首をつかんでいるのは、左手ですよね?
私の右手首に残されたアザは、間違いなく右手の形をしていました。
sage 2009/09/20(日) 13:50:54 ID:9epKxXJT0
私は常に戦々恐々としていました。朝起きた時。顔を洗いに手水場へ行く時、トイレへ行く時、
とにかく一人でいるときはびくびくと周りを見回し、誰かに出会うたびに飛び上がらんばかりに驚きます。
まるで今もすぐそばにあの女の子がいて、不意に腕をつかまれたりするのではないか……。
こんなことになった原因は、何の因果か伯父さんに聞かされた話のおかげでわかっていました。
私が不用意にあの祠へ近付いたから、女の子の崇りを受けているのです。
もう、そうとしか考えられませんでした。
ならばどうすればいいのか。私はとにかく、不用意に祠へ近付いてしまったことを幽霊だか崇り主だかに謝らなければ。
そんな思いで午後になってから一人で山へと向かいました。
祠に近付いてしまったことを謝るために、ふたたび祠へ向かっていく。
今になって思えば矛盾している行動でしたが、同時の私にはこれくらいしか思いつくことがなかったのです。
舗装されているハイキングコースをはずれ、草に覆われた道を川に沿って歩きます。
やがて道は川の水面より高くなり、さらに行けば落差が十メートルほどの谷となります。
その崖に沿ってさらに山の奥へと進み、山に入ってから二時間ほどが経過した頃でしょうか。
私は件の祠の前へと辿り着きました。
祠は前に来た時と少しも変わらず、とても古びていて、観音開きの戸は壊れ、中のお地蔵様は苔むしています。
気がつけば屋敷を出るときには晴れていた空には重たい雲が広がり、辺りは薄暗く、
それが祠の様子をより一層不気味なものに見せていました。
私はまず、屋敷から持ってきた法事の際にご先祖様にお供えするためのお菓子をお地蔵様の足元へ置き、
それから手を合わせて心の中で謝罪の言葉を述べました。
sage 2009/09/20(日) 13:52:42 ID:9epKxXJT0
手を合わせている間、私はずっと目を閉じたままでした。
瞼を開けばそこには私を取り囲んでいる子供たちが見えてしまう気がします。
私を囲み、輪をつくり、手をつなぎながら周りをぐるぐる回る子供たち。
その輪の中には私と、私の腕をつかもうとしている女の子がいて。
……ポっ。
突然首筋に冷たい何かが当たり、私は悲鳴をあげることすら忘れて走り出しました。
息が切れて足を動かすことをやめてしまった時、
私はさきほど首筋に感じたものの正体を知りました。
いつの間にか、辺りには結構な勢いで雨が降り出していたのです。
お供え物や崇りのことで頭がいっぱいだった私は、雨具の用意をしていませんでした。
屋根の代わりとなる木の下にうずくまり、しばらくしてからのことです。
このままでは完全に日が暮れ、下山はおろかこの場から動くことすらできなくなってしまいます。
雨の降る中、光もない場所で、虫除けの備えもないまま一夜を過ごさねばならないことを考えると、
そろそろ雨宿りも大概にして山を下りなければなりません。
私は意を決して雨が降り続ける森の中を歩き出しました。
辺りは見覚えのない景色が広がり、私は帰る道を知りませんでした。
私はとにかく、川を目指して歩きます。
川沿いに下流へ下れば、ハイキングコースまで一本道でいけるはずです。
そこまで行けば、あとは舗装された歩きやすい道を数十分程度行くだけで、
ふもとの町まで下りられるのです。
川は祠の西側を北から南へ流れており、ならば西へ向かえば川の流れにぶつかるはずです。
既に日は暮れていましたが、自分が来た方向から大まかな方角くらいは把握できていたので、
私は西と思わしき方角に向かってただひたすらに歩き続けました。